Opus ZERO

No Beginning No End.

偉大な音楽家の死

3月28日、坂本龍一が亡くなった。亡くなってしまった。

 

もうずいぶんと前から覚悟していたつもりだったが、やはり喪失感がかつてない程に強く、深い。最初の癌発覚からの回復と、その後に創り出した静謐で音響的で有機的な音の展開は見事という他なかった。そしてそれはこのまましばらくは続くのだと、意識的楽観的に信じようとしていた。

 

しかし病は感傷に遠慮しない。間髪入れず音楽家に近づき、その後新潮の自伝で詳しく告白されることとなるが、そのフェーズは癌が複数の場所に転移したステージ4という残酷なものだった。

 

心底落胆したであろう検査結果から、それでも坂本の人生の始末の付け方は、それは感嘆するほどの美しさだった。

 

罹患前に依頼を受けていた全ての仕事(映画音楽、校歌、ファッションショーの音楽など)を納期までに仕上げ、自身の演奏する音と姿を後世に残すべくMR(Mixed Reality=複合現実)に挑み、ラストコンサートの収録に当たっては新境地とも言える驚きのアレンジを披露した。

 

坂本は最後に「芸術は長く、人生は短し」の言葉を残したが、それは晩年の音楽活動を体現している。坂本龍一が残した音はこれから数百年に渡り人々の感性に残っていくだろう。彼が愛したバッハやドビュッシー以上に。

 

Ryuichi Sakamoto

 

もしかすると、それはこの星の人々の中に留まらず、同じ宇宙の彼方にいる誰かにも伝わるかもしれない。

 

それくらい、偉大な音楽家と同時代に生き、その死に様を感じることが出来たのは、僥倖だったのだろう。

『主戦場』 監督: ミキ・デザキ

タブー化しつつある「問い」を正面から突き付けてくる、強烈なドキュメンタリー。

 

www.shusenjo.jp 
7/21の参院選前に『新聞記者』と並び政治モノとして話題になっていた作品。
遅ればせながらイメージフォーラムにてやっと鑑賞。
サービスデー(¥1,100)だったせいか、平日の午前中にも関わらずほぼ満席。

本作は日系アメリカ人であるミキ・デザキ監督による論戦型ドキュメンタリー。
慰安婦問題」を軸に、否定派=右派の保守系論客と、肯定派=左派のリベラル・人権派系論客を、文字通り左右に対比させ、

  • 軍部ぐるみでの強制連行はあったのか?
  • 彼女たちは金銭目的の娼婦だったのか、それとも性奴隷だったのか?
  • 被害者は本当に20万人もいたのか?

など、慰安婦問題の中核を成すトピックに対し両派の主張を交互に組み合わせ、フレームの中で対峙させていく。

両論併記、極力フラットな土俵でのディベート、といった対象に距離をおいた建付けではない。
デザキ監督は、否定派に対し明確にポジションを取っており、明らかにバイアスが入った作りとなっている。
そこに結論ありきのアプローチを感じることは否めない。

 

f:id:kentarow14:20190731184654j:plain

ミキ・デザキ監督 上智大の大学院在籍時に本作を撮影


だが、そのバイアスがかった視点を(この作品の中において)寧ろ正当化しているのは、他でもない否定派自身の主張と所作でもある。

ある自民党の議員が画面に映る度、その話す内容の根拠の薄さに論旨の弱さ、そして解釈の自分勝手さに心底呆れたし、劇場の空気にも同様のものを感じた。

 

f:id:kentarow14:20190731184948j:plain

「ある」自民党議員


また、あるアメリカ人ライターに対し金銭を払って取材をしてもらった、つまりお金で自分たちに都合の良い記事を書かせたのではないか?という質問を受けた時の櫻井よしこ女史のシーンは、まさにドキュメンタリー映画特有の説得力が現れた瞬間だろう。
「複雑な問題だから答えたくない」と言ったあとの細かな目の動き、目尻によった皺、少し弛緩したような表情。観客みんなが固唾をのみ、その意味するところを理解した瞬間だったと思う。

 

f:id:kentarow14:20190731185139j:plain

櫻井よしこ女史。靖国神社の敷地内に無料でオフィスを構えているとか


一方、肯定派の主張・ロジックに稚拙さを感じる点も多々ある。
20万人の数の根拠などは、自身でフックになりそうな数字を出しておきながら、状況が悪くなると無視する、ご都合主義的な面も感じる。

こういった疑問やツッコミどころは散見されるが、教科書からは削除されメディアからは敬遠され、社会から埋没化しつつある問題を、イデオロギー闘争に矮小化させず、改めて人権問題として向き合うトリガーとなり得る強い「問い」を孕んだ映画だと感じた。
いま観ておくべき映画の一つ。

 

#主戦場

#Shuzenji

#ミキデザキ

#mikidezski

#慰安婦問題

#comfortwomen

#sexslaves

#歴史修正主義

#Historicalrevisionism

#シアターイメージフォーラム

#TheMainBattlegroundoftheComfortWomenIssue

 

『ハイ・ライフ』

『ハイ・ライフ』

 

http:// http://www.transformer.co.jp/m/highlife/

 

フランスの鬼才、クレール・ドゥニ監督の最新作をヒューマントラストシネマ渋谷にて、GWの序盤に鑑賞。

 

ドゥニの作品を観るのは久しぶりで、恐らく20年以上振りだろうか。

日本未公開の作品が多いので、映画館で観られるのはかなり貴重な機会。

 

f:id:kentarow14:20190724233738j:plain

クレール・ドゥニ

 

 

この映画は、SFという建て付けで、地球から遠く離れてゆく宇宙船を舞台に繰り広げられる「ある実験」を通して、男女と親子の愛と、そして禁忌に直面せざるを得ない人間の心の逡巡を描いてゆく。

 

まるでフィルムで撮ったかのような色の質感(調べてみたところ、実際幾つかのシーンは16mmフィルムで撮っていたようだ)が心地良く、カメラワークも素晴らしかった。主人公の男性が娘を性的対象として見てしまうかもしれない自分を抑制する様を捉えたシーンがあるのだが、とても繊細かつ秀逸なカメラワークで鳥肌が立った。

 

多くのハリウッド映画はビジネス規模が大き過ぎるので、どうしても「答え」を(解釈に余地を残すとしても)提示し終わらせる事が多いが、この映画は「問い」を投げかけたまま終わっていく。村上龍が小説とは「問い」そのものであると常々言っているが、その意味においてこの作品も間違いなくそれらの一つであると言える。

 

ちょっと興味深かったのが、作中頻繁に出てくる精子の扱いだ。画面にがっつり精子が、それも度々出てくるのだが、あの映し方は女性ならではの感覚だと思う。男だとアレをあそこまで明確に画面に置いておこうとは思えない。

 

音のセンスも相変わらず鋭く、説明的描写を完全に廃しメタファーのみで気付かさせる脚本も隙がなく、完璧に調和のとれたいい意味での教科書のような映画だった。

 

傑作。

 

 

#ハイライフ

#highlife

#クレールドゥニ

#clairedenis

#ジュリエットビノシュ

#juliettbinoche

#cinema

『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』

『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』

 

www.transformer.co.jp

 

Filmarksで募集していた試写会に当選したので、人生初の試写会にて。
場所は渋谷ユーロライブ。
ユーロスペースは良く足を運ぶが、こちらは初めて。
普段は演劇や舞台用途の箱か。

 

当初この映画にはマーケティングの打ち出し方から、SNSを駆使する今どき女の子によるティーン映画、といったステレオタイプな印象を受けたので、正直あまり興味を持っていなかった。

 

だが、オバマが2017年の年間No.1に選出し、キュアロンが「ここ最近で一番泣いた」と言っているようなので、試写会に当たったし時間も調整出来そうなのでいっちょ観てみるか、くらいの軽めのスタンスで臨んだのだった。

 

結論から言うと、多感な10代の一時期をシリアスに捉え、SNSYoutubeといった現代的なツールを多用するものの、少女の心理をリアルに描写した、繊細かつ感動的な素晴らしい青春映画でした。
開始間もなく襟を正し、終了時にはハンカチを握りしめていた。

 

「売り方」として間違っているとは言わないが、恣意的に色を付けずにこの映画の本質的な魅力を前面に出した方が、結果興行的にも評価的にも良いのではないかと鑑賞後思う。

主人公は中学卒業(Eighth Grade)を1週間後に控えた少女ケイラ。
思索的で好奇心も旺盛、自己主張もしたいし、それによって認められもしたい。
表現の仕方は違えど、同じような感情を内面に抱えていた、かつて少年・少女だった大人たちの琴線に、ケイラの心の機微がビシビシ響く。

 

f:id:kentarow14:20190723231908j:plain

ケイラ役のエルシー・フィッシャー(Elsie Kate Fisher)

 

エポックメイキング的なある一つの出来事によって物語が劇的に進むわけではない。
ケイラは日々挑戦し、失敗し、落ち込み、反省し、そして乗り越え、少しづつ成長していく。
それを見守る父親の姿がまた良い。
シングルファーザーの父親は、母親不在の環境に責任を感じながら(そこの経緯はほとんど描かれないし、それでいいと思う)ひたすらケイラを愛し、大切に力強く見守る。
クライマックスといえる夜の庭のシーンにおける父親の語りは、涙なしには見られなかった。

 

監督のボー・バーナムは本作がデビューで、Youtuber出身。
音の使い方が節操無くて巧みで面白い。

#EighthGrade
#エイスグレード
#世界でいちばんクールな私へ
#ボーバーナム
#BoBurnham
#A24
#グッチー

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

 

moviola.jp



アップリンク吉祥寺にて。
この土曜日はAM10時から「のみ」の上映回しかないので、金曜夜から若干緊張しながらも、無事に鑑賞。

ユダヤアメリカ人のフレデリック・ワイズマン監督によるドキュメンタリーフィルムで、僕にとっては(恐らく多くの同年代人にとっても)マンガ『BANANA FISH』でお馴染みの、かの高名なニューヨーク公共図書館(NYPL)の表も裏も縦も横も存分に捉えた205分(つまり3時間25分!!)の傑作長編記録映画。

ナレーションやテロップは一切無く、劇伴音楽や効果音も全く存在せず、説明的な演出からは徹底的に距離を置いている。その代わりか、各シーンの編集はコンテクストを捉えられるよう前後に十分な尺を持ち(だから長くなるんだろうが)、いま映っているモノが何を描写しているのかが自然と理解出来るよう繊細な編集が施されており、カメラワークも一貫性のあるミドルショットに統一されていて、とても心地良かった。

日本人がこの映画を観てまず驚くのは、NYPLが提供し担う、そのサービスというか機能の多様さではないだろうか。
この場所では端的な「本」では無くそこに集う「人」が主役であるという明確な認識が共有されており、その「人」に対して、就職の斡旋やそのための職業訓練からインターネットサービス(wifi)の提供に移民向け教育など、近代都市の社会インフラに必要かつ不足しがちな「場所と機会」が惜しげも無く、しかも無料で提供されている。

図書館がこんなことまでやっているのか、と驚きの連続だった。
あえて東京で例えるなら、区役所と公民館と児童館とコンサートホールが凝縮されたような、そしてそれらが全て(ほぼ)無料で提供されている。
目から鱗が落ちまくる、心が洗われる、そして民主主義の根幹を成す一側面に触れられた、貴重な時間(くどいようだが3時間25分!)だった。

いくつかある印象的なシーンの中から、ある少女が初めて何かを借りようとした時の司書とのやり取りを挙げておきたい。
その少女は貸し出しに必要なカードを持っていないので、手続きから必要なのだが、まだ年齢が足りないせいか身分証明書的なものは持っていない。
となると普通「今度ご両親と一緒に来てね」となりそうなものだが、その時の司書のスタンスが素晴らしい。何とかこの場で借りさせてあげたいという思いがそうさせるのだろうが、学生証がなくとも成績表や時間割とかその他なんでも良いから在籍していると証明できる何かがあればいいのよ、と何とかその少女が借りられるよう次から次へとソリューションを提供していく。
子供に対しても個人としてのリスペクトを忘れない、アメリカの底力を垣間見れた良いシーンだったなと思う。

 


#thenewyorkpubliclibrary
#ニューヨーク公共図書館
#エクスリブリス
#exlibris
#cinema
#movie
#映画
#ドキュメンタリー
# フレデリックワイズマン
#frederickwiseman
#アップリンク吉祥寺

『レインボー・リール東京2019』

『レインボー・リール東京2019』

rainbowreeltokyo.com

レインボーリールは、セクシャル・マイノリティをテーマとした映画祭で、今年で28回目の開催になり、7/5~7/6と7/12~7/15の2つの期間に分かれて、10本以上の作品が東京ウィメンズプラザとスパイラルホールで上映された。

所属している会社がスポンサードしていることもあり、2年前からこの映画祭に足を運んでいる。去年までは社内で配賦されるチケットが貰えていたが、今年は希望者多数による抽選となりあえなく落選、自費での鑑賞に。外資系の割にかなり保守的なカルチャーの会社なので、こういったイベントに関心を持つ人が増えてきたことは、基本的に良いことだと捉えている。

今年観たのは、『QUEER×APAC 2019 ~アジア・太平洋短編集~』と『クィア・ジャパン』の2作。
短編集の方は、オーストラリア、インド、台湾、そしてインドネシアに韓国の5本からなる短編群で、どれも映像や音楽などのクオリティは申し分ない水準だった。

特にインドネシアと韓国の作品は、明確なテーマと余計なものをそぎ落とした秀逸な脚本、そして映画的な映像の組み合わせという、長編にリメイクするに足るポテンシャルを感じさせる良作だった。

 

帰り道

帰り道

 


もう一作は、最終日の最終回に観た『クィア・ジャパン』。
アメリカ人監督のグレアム・コルビーンズによる、世界的にも多様かつ特殊と言われている日本のLGBT+Qカルチャーを描いたドキュメンタリー作品だ。LGBT+Q当事者への100本を超えるインタビューから成り立っており、差し込まれる映像の強烈さと、語られる言葉から発せられる知性と生命力に圧倒されっぱなしの101分だった。

www.queerjapanmovie.com


知る人ぞ知るらしい『デパートメントH』という東日本最大の変態パーティの個性とクオリティや、NHKでドラマ化された漫画『弟の夫』の原作者が本業として描くハードなゲイ漫画の描写など、目が眩むような情報が次から次へと繰り出される。

そこに描かれるジェンダーセクシャリティは本当に多種多様で、まるで別世界の出来事のようにも思えるが、新宿にも京都にも沖縄にだって彼ら/彼女らは確かに存在し、はるか昔からも存在していたのだ。

登場する皆が何らかのマイノリティとしての自覚を持ち、理解や共感といった周囲の環境からは遠い人生を経ているからか、とても思索的であり、故に饒舌に自己のアイデンティティを語り尽くす。

クィア・ジャパン

クィア・ジャパン


「混ぜようとしないで、そのまま共生させるのが多様性だよ」というようなニュアンスのことを誰かが言っていたのが耳に残り続けている。

#rainbowreeltokyo2019
#rrt2019
#レインボーリール東京2019
#queerjapan
#クィアジャパン
#スパイラルホール
#東京ウィメンズプラザ

『ヒューマン・フロー/大地漂流』

『ヒューマン・フロー/大地漂流』

 

www.humanflow-movie.jp

 

2017年時点での難民問題の「いま」を捉えた、強烈なドキュメンタリー映画

監督は中国の現代美術家アイ・ウェイウェイ

対象はシリアやロヒンギャやメキシコ国境など、世界中のありとあらゆる難民全て。

 

世界23カ国40カ所を巡り、ドローンやスマートフォンなどのテクノロジーも駆使し、主張や説明的描写を差し込むことなく、淡々と断面を切り取っていく。

 

個人、ドラマ、ストーリーを線で追うのではなく、グループ、生活、地域の瞬間を点で捉えており。映像と編集のクオリティが高く網羅性もあるので、難民問題を知るためのツールとしては最適な入口ではないか。

 

2時間20分と少し長いのでハードル高いかもしれないが、多くの人に興味を持ってもらいたい映画。